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徒然なるままに

思った事を率直に書いていきます。

親のあり方

私は自分の両親を知らない。

赤ちゃんポストなんてまだ無かった時代、教会の入口に捨てられていたからだ。

 

その教会は新興宗教みたいな偶像崇拝をする場所ではなく、人間としてのあり方や、様々な物に感謝せよ。など、倫理道徳に関する物を大切にする場所であった。

様々な理由から私と同じ様に孤児となった人々を保護する施設でもあった。

聖書は置いてあったが、聖書を読むことも少なく、よくみんなで歌を歌っていたと記憶する。

 

その教会にいる大人はマザーと呼んでいた30代そこそこのハーフっぽい人で、独特な雰囲気を持っている人であった。田舎ということもあり、休みになると老人達が集まり、私たちに昔の遊びなどをよく教えてくれたものだ。

マザーはその老人達にビクニ様と呼ばれていたが、その話はまたの機会で。

 

マザーは本当の親ではなかったが、親の様に20人近くいる孤児達の面倒をよく見てくれたし、年上の兄弟達もマザーをよく手伝い、本当の兄弟の様に接してくれた。

勿論お金に余裕などあるはず無かったのだが、クリスマスなどの行事などは、集まってくる地域の人々のおかげで、結構豪華だった。今でもなんであんな資金力があったのかは謎である。

 

私も成長し高校進学の時期となると、将来についてマザーと二人で話す機会が増えた。

私は物事を話す様な年齢になっても、あまり周りと調和が保てず、マザーの書斎に篭ってよく本を読みあさっていたので、結構それを気にかけてくれていたらしい。

自分としては、やはり恩がある教会なので、同じ様な孤児の為にも少しでも教会のためになりたいと申し出たのだが、それをあっさりと拒否されてしまった。

 

なぜなら、その人の持つ運命を他の人に委ねるということは、その人にとって将来的に繰り返す良心の呵責の様な物となってしまい、それが教会に根付いてしまうのは良くないことだし、自分の運命は自分で責任を持つべきである。と説かれた。

確かに、教会にはマザー以外の大人は居なかったし、協会を卒業した兄弟たちから支援を受けているという話も全く耳にしなかった。

 

教会に居るのも自由だし、世界を見てくるのも自由だと言われ、私は中学卒業と共に、地方から関東近郊に引越し、高校、大学と自力で学費を工面して今に至る。

 

最近の親は子供の将来にまで介入してくる事が多々あるらしい。

それが友達付き合いにも影響し、周りから誰もいなくなってしまったり、親の言うこと=絶対。であると小さい時からインプットされてしまった子供は、何かおかしいと感じても、親に抗うことができなくなってしまうのである。

そうなったのは当然ながら親の責任なのだが、基本的に親は子供より先に死ぬし、そういう親は「あなたのためを思って」の一点張りである。

 

親の存在が自分の中で大きくなってしまった子供は、自分で何も決めることができなくなり、最終的にその親からしたら「期待はずれの子」となってしまう事がある。

そうして自立も出来ず、親元も離れなれないという悪循環が始まるのである。

 

こういった人には外部からの支援が必要であると感じる。

私がやりたい事はそういった人たちも含め、救済と言ったら大げさだが、支援と予防をしていきたいと考えている。

 

親はあくまでも、子供が独り立ちするまでの間、見守るのが役目であり、その子の未来を決める権利はない。そして、成人になれば支援や育てる義務もない。

最近の親は周りの目ばかり気にしてい、それを子供に押し付けている感じが伺える。

 

親は時には心強い味方であるが、時には質の悪い宗教となる。

もう一度言うが、親には子供の未来を決める権利など無いのだ。

 

かくいう私も、今年中に親となりそうである。

そういった風にならぬよう、肝に命じなければ。